最後の侍・市川雷蔵
もちろん、そうした作品がそれまでにまったくなかったわけではない。昭和二十五年の『佐々木小次郎』(稲垣浩)、二十七年の『決闘鍵屋の辻』(森一生)、二十八年『大菩薩峠』(渡辺邦男)、二十九年『宮本武蔵』(稲垣浩)、三十一年『眠狂四郎無頼控』(日高繁明・鶴田浩二主演)など、わずかながら求道的な作品がある。しかし、他系統の圧倒的な作品量にくらべ、これらの作品はあまりに少なかったため、時代映画そのものに影響を与えるということはほとんどなかった。
しかし、市川雷蔵という役者にとってこうした傾向の作品を見逃すことはできない。つまりそれは、後に彼の時代劇スターとしての主流となるからである。三年後の三十四年の『遊太郎巷談』(田坂勝彦・柴田錬三郎原作)、『薄桜記』(五味康祐原作)、『二人の武蔵』(渡辺邦男・五味康祐原作)、三十五年『大菩薩峠』(三隅研次)などを経て、三十七年『斬る』(柴田錬三郎原作)に至り、「眠狂四郎シリーズ」へと続き、彼を「殺しの美学」映画第一級のスターに仕立てる重要な作品群なのである。
一方、『浅太郎鴉』は、ご存知板割りの浅太郎の物語で、「義理」と「人情」ベッタリのたあいもない映画ではあるが、その後、彼の素質を発掘し、特異なイメージを作り上げ、時代劇のスターダムへとのし上げた三隅研次との最初の出会いの作品であるとともに、デビュー当時の作品『次男坊鴉』に続く雷蔵股旅映画のライン上にあって、翌年の『弥太郎笠』(森一生)を通過し、三十三年『旅はきまぐれ風まかせ』(田坂勝彦)で小林旭の「渡り鳥シリーズ」もどきのアクション・コメディへと変化し、『女狐風呂』(安田公義)、『濡れ髪三度笠』(田中徳三)でそのユーモア性を成功させ、『浮かれ三度笠』(田中徳三)、『濡れ髪喧嘩旅』(森一生)、『濡れ髪牡丹』(田中徳三)と水準の作品を作りながらも『おけさ唄えば』(森一生)でマンネリとうわさされるや、次の『沓掛時次郎』(池広一夫)では、みごとに本来の性格をとりもどし、『鯉名の銀平』(田名徳三)、『中山七里』(池広一夫)とみがきをかけ、四十三年『ひとり狼』(池広一夫)で大完成する一連の「流れ者」の系譜である。
しかし、当時の雷蔵の股旅映画についていえば、それはまだ長谷川一夫のミニチュア版にすぎなかった。確かに、スタイルや身のこなしにはすっきりとした美しさがあったが、長谷川一夫の慣れきった役者ぶりにはとうていかなわなかった。すでに東映では三十三年『風と女と旅烏』(加藤泰)で中村錦之助がみごとな股旅やくざを演じていただけに股旅物において新局面を開拓していたが、当時の市川雷蔵はまだまだ軽々しく見えた。
三十二年の『弥太郎笠』の雷蔵について、前記の辻久一氏はこう書いている。
「この頃、雷蔵の股旅ものの扮装に、下半身の弱さが気づかれるようになった。尻端折り、脚絆、草鞋ばきの、本来すっきりとして、力強い歩き振りでなければならぬのに、それが力弱く、頼りない感じを与えた。夭折の一つの前兆だったのだろうか」
こうした彼の力弱さは、二枚目でありながら二枚目半も演じるという、彼としては多分あまり得意でなかっただろう方向へ向わせる要因となる。皮肉なことに、それらのコメディ作品は、彼自身の大根ぶりとはうらはらに、これまでになく面白いものであった。
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